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  • 執筆者の写真明覺寺

ちょこっと寄り道法話1

 テレビをつけると、政治家や芸能人の話題が毎日のように飛び込んできます。しかも、その多くが、いわゆるゴシップやスキャンダルと言われるようなニュースです。そのようなニュースを私たちはおもしろおかしく見て、そして時には批判的な意見を言っていることがあると思います。

 

 では、我が身を振り返るといかがでしょうか。私たちは、その人たちを批判できるような生き方をしているでしょうか。だれからも責められることのなく、清く正しく美しい日暮らしをしているでしょうか。少なくとも、私は自身を持って頷くことはできないなと思います。私も、環境が変わり、立場が変わると、そのテレビの中の人たちと同じようなことをしてしまうかもしれません。以前、私は先生からこのようなことを教えていただきました。


 「他人のことを批判的に言って指をさす。その指した手をよく見てみなさい。相手を指している人差し指は1 本だけど、中指・薬指・小指の3 本は自分のことを指しているよ」と先生はおっしゃいました。誰かを批判したそのことは、そっくりそのまま、いやより強く我が身に置き換えるべきなのかもしれません。なぜなら、私たちは、自分の行為に限っては「仕方がなかった」「どうしようもない」と正当化するからです。


 例えば、コップを落として割ってしまったとき。割れてしまった事実に対して、自分が割った場合は、「割れた」というにもかかわらず、他者に対してはどうでしょうか。「◯◯さんが割った」と表現しているのが私たちの姿です。自己中心的な見方をし、自らの行為を正当化しているのです。


 浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、我が身を善とし、他者を悪とすることを厳しく否定されます。「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」とおっしゃり、私自身も、一つ縁が違えば、何をしてしまうか分からない存在であることを忘れてはならないと示されます。


 ただ無自覚に他者を批判し、おもしろおかしく取り上げるのではなく、何故そうなってしまったのか、その背景には何があるのかということを我が身に置き換えて考えていく。こうした在り方が社会生活を営む上で、また人間関係を築いていく上で大切になってくるのではないでしょうか。


明覺寺寺報【問津-もんしん-】Vol.1より

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